第二十五章

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疲れた頬にそっと指を伸ばした時、相馬と鉄之助の声が聞こえてきた。 笛でも鳴ったみたいに、土方は再び重たい面を被り直す。 「お前、何やってんだ? 高松先生のところへ行けと言っただろうが、さっさと行って来い!」 「はい! お心遣いに感謝致します」 高松先生って……高松凌雲だよね。 榎本と行動を共にし、函館病院の院長を務めた幕府側の医師。 いつか京太郎に話したことがある。 寝る前に本を読んであげるような、何でもない他愛のない話だ。 今後の戦によって、院内は多くの兵士で埋め尽くされるだろう。 運び込まれた負傷者の中には、新政府軍の兵士も沢山いた。 混乱が起きるのは当然だった。 寝返りを打てば隣に敵が寝ているのだ。 高松凌雲は熱り立った兵士をなだめ、刀を振り上げた敵を一喝した。 患者に敵も味方もなく、傷付いた兵士の治療に専念したのだ。 戦後は新政府からの誘いを断り、町医者を経て同愛社を設立する。 選んだのは貧民を無料で治療する道。 医師とは一体何なのだろう。 多くの命を救ったのは、医学を超えた彼の精神力なのかもしれない。 どうして敵まで助けたんだろうね? 大人の気まぐれな問いかけに、京太郎は悩むことなく答えた。 『困ってる人がいたら助けてやれって、父ちゃんがいつも言ってる』 そんな京太郎を恋しく思い、相馬の赤黒く染まった腕を見つめる。 強烈な酒の臭いに眉を寄せた。 「鉄の側から離れるなよ、これを持って行け。五時までには戻るんだ、いいな?」 「…………」 「聞いてんのか? 返事をしろ」 「あっ、はい……わかった」 懐中時計を受け取り、買い物を済ませたらすぐに戻ると答えた。 土方の背中を見送っていると、訳のわからない寂寥感に襲われた。 幼い頃から見慣れていた建物が、更地になっていた時のような気分。 怪我には触れず相馬に向き直った。 「ねぇ、野村さんはどこ?」 「…………」 「相馬さん、高松先生のところまで送るよ。結羽さんと市中まで買い物に行くんだ」 鉄之助の反応を訝りながら、黙って二人の後ろを歩いていた。 そして病院が目に入ると、私は再び同じことを問いかけた。 「野村さんはどこ……土方さんの側を離れないでって言ったのに……どうしてっ!!」 「結羽さんと約束した通り、副長の側にいた。本当だ、信じてくれ」 「それは後で俺が説明する。治療を受けるのが先だ。そうだろ?」
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