第二十五章

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わざと両目をこすりながら、鉄之助にこっそり視線を注いだ。 獲物を狙う猫みたいに、不自然な表情で立っている。 「ふ、副長! 少しよろしいですか?」 「結羽、俺はな……あ゛?」 早速タイミングを計り損ね、土方が間の悪さに舌打ちをした。 その隙に相馬のもとへ駆け寄っていく。 「怪我の調子はどう?」 「もう平気だよ、ありがとう」 「土方さんが親しくしてる人、誰か知らない? 例えば……商人とかさ」 「副長に感謝してる商家は多いからね。うーん、誰がいるかなぁ……大町の宿所のこと?」 この当時、五稜郭は市外にあった。 箱館市中取締である土方は、市中に宿所が用意されていた。 澄ました顔で相馬の話を聞く。 新撰組の屯所である称名寺や、活動拠点の沖之口役所から近いようだ。 宿所か……知らなかった。 初耳ではあったが、知っていたかのような口振りで尋ねた。 「そう、その宿所のことなの。土方さん、今も頻繁に使ってる?」 「いや、最近は聞かないな……結羽さんが本営にいたからじゃない? 副長に直接確かめ……」 「い、いいの! 知ってたから」 宿所はあまり使ってないのか…… 私は昨晩一睡もせず、箱館に留まる方法を考えたのだ。 それを無駄にするわけにはいかない。 鉄之助の様子を見ながら、怪訝な顔をした相馬に堂々と言った。 「実は私もお世話になったの。日野に着いたらね、お礼の文をゆっくり書こうと思って」 「あっ、もしかして住所が知りたいの?」 「そう、その通り! ついでにその商家の名前も教えてくれる? 何屋さん?」 「……え?」 うるさいやらもういいなど、土方の鬱陶しそうな声が聞こえてきた。 気を引くと言っても、咄嗟のことで何も思いつかなかったのだろう。 くだらないことを聞いて土方に怒られている。 早くしなければと思い、相馬に宿所の住所と名前を促した。 「万屋丁サ、佐野専左衛門……あのさ、世話になったんだよね?」 「そうそう! ご主人のよろ、よろずやさんね。珍しい名前だから覚えてたの」 「万屋は屋号で、ご主人は佐野さんだけど」 絶句したまま相馬と見つめ合う。 笑顔で誤魔化そうとした時、土方の大きな怒鳴り声がした。 「馬鹿野郎! 茶碗を持つ方が左だ。てめぇ、どっちに刀を差してやがる」 「俺から見れば副長は右に……痛ぇっ!!」
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