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-----明治二年 五月 二日
かよに書いた数枚もの手紙を、一枚ずつ丁寧に重ねていく。
自分の字だというのに、遺書のように思えて気味が悪かった。
今、私がいるところは丁サ。
佐野専左衛門の店舗にある一室。
大町の大商人とは聞いていたが、佐野の豪商ぶりには驚いた。
敷地はこの周辺一帯、とにかく広すぎてすぐ迷子になってしまう。
土方が宿所としたのには納得がいく。
ここへ来てから何度か、私は散歩がてらに近辺を調査したのだ。
屯所の称名寺までスキップで二分。
そこから走って一分、沖之口役所には相馬や山野が詰めていた。
そしてその他にも、一本木関門や千代ヶ岡陣屋など……
十一日の土方の行動を、出来る限り詳しく把握しておきたかった。
「鉄くん……元気かな……」
鉄之助と別れたのは二週間前。
私が今ここにいれるのは、他でもなく鉄之助のおかげだった。
佐野の小間使いが、土方といた鉄之助のことを覚えていたのだ。
予想外の見事な顔パスで、難なく佐野に面会することが出来た。
直接話をしてくれたのは鉄之助。
言いたい放題ではあったが、私は黙って姉らしく振舞っていた。
使いから戻る一ヶ月の間、姉を女中として預かって欲しいこと。
水回りだけでなく力仕事まで、こき使ってくれて結構だということ。
そして副長の承諾を得ていないこと。
土方の名前が出た時は、思わず不安と緊張で呼吸が乱れた。
それでも佐野は姉思いの弟だと、二つ返事で聞き入れてくれた。
あと十日ほどで、最愛の男を失うかもしれないというのに……
この歳で奉公に出され、戻って来ない弟を一ヶ月待つことになった。
鉄之助は日野へ無事に辿り着く。
だけどその後の行動はわからない。
いくつかの説があるが、どれも確証がないと亜希は言った。
鉄之助は死ぬのかもしれない。
「亜希がもっと……鉄くんのことを詳しく話してくれてたら……」
……本当にそうだろうか?
鉄之助と出逢った時、亜希の話をどのくらい思い出しただろう?
私はノートに頼り過ぎていた。
薬のことに必死で、亜希の話なんて聞いてなかったんじゃないの?
自問自答するまでもない。
顔も知らない男の境遇や生い立ちなんて……
土方から目を逸らすほどの興味もなかった。
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