第二十六章

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「いつもお父さんが買ってくれ……これ、おまけの箱に男の子用って書いてるんだけど」 「……えっ?」 「だってほら……ここ」 「お前にじゃなくて、これから産まれてくる子に買ったんだよ……歳を考えろ」 故意か誤魔化しなのか、父の真意がどちらでも私は嬉しかった。 父は落としたライターを拾い上げ、振り向きもせずに歩いていく。 「あの……お父さん? 妊娠したこと、心配かけてごめんなさ……」 「お前は昔から責任感が強くて負けず嫌いだった。お母さんが、のんびり屋だったせいかもしれないな」 「…………」 「不用意に馬鹿なことするなんて思ってないよ。だけどお前がいくら平穏の道を選んでも、そこに危険はないか俺たちは必ず先回りする。親なら当然だ」 俺たちという言葉が胸に突き刺さる。 父の言ったことは、私が現代へ戻ってきた根本的な理由でもあった。 ラムネを1つしか買って貰えず、泣きながら手を引かれた歩道の内側。 高杉の言葉を信じて、必死に追いかけた幾重にも折れ曲がった道。 私だってもうすぐ親になる。 当然のようにされてきたことを、今度は自分がしてあげる番だ。 俺たちじゃなく、私一人だけど…… 高杉のことを想いながら、二人の共有物にそっと手を当てた。 「あの人の後ろを、私はいつも双眼鏡を覗きながら歩いてた……」 「男が5分先を考えているうちに、女はすでに明日のことを考えてる」 「そして女の語った夢に頷きながら……男は5分先で裏切る」 「…………」 高杉はいつも私の前を歩き、振り返るたびに案じるなと言った。 布団を真っ赤に染め、叶わぬ夢を何度も手繰り寄せながら。 心配するなと言うことが優しさなの? 一言でも辛いと言ってくれれば…… 双眼鏡を投げ捨て、高杉を抱き締めることが出来ただろう。 「私ね、友達に酷いことをしたの……謝りたくても、お父さんみたいにはもう会えない」 「金は戻ったけど話せなかったよ。列車の事故だ……意識は戻らなかった」 靴を脱いで洗面所に向かった。 父はキッチンへ直行し、ライターと同時に換気扇をつける。 「お父さん……ラムネのこと、覚えてくれててありがとう。私、頑張るね」 背中越しにそう告げると、手すりを持って階段を上った。 真っ白な煙を吐き出し、父はこの日を最後に煙草をやめた。
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