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滅多に呼ばない名前を呼んだ。
「瀬名くん」
おれが近づいてくるのを確認すると、彼女の強張った頬が僅かに緩む。
「もしかして来た?」
「うん。そうみたい」
陣痛。
予定日は五日先だ。
初産は大抵予定日を過ぎるから大丈夫、と彼女に宥められ、渋々出掛けていった親父の不安げな顔が脳裏に浮かんだ。
「親父には伝えた?」
「うん。帰ってきてくれるって」
「でもどうせ着くの明け方だろ?」
間に合うのかよ。
その台詞を言う前に、彼女が突然顔を歪ませた。
お腹を抱え込んで小さく唸る。
途端に現実がおれに迫ってきた。
この状況では、もしかしなくてもおれが彼女のケアをする以外ない。
里帰り出産ではないから、彼女の母親も近所にはいないのだ。
おれしかいない。
マジかよ。
「……病院は?」
痛みが治まった頃を見計らって尋ねる。
気がつくとおれは、ひざまずいて彼女の肩に手を置いていた。
見るのもいやだったはずの顔が至近距離にある。
潤んだ瞳はとても大きくて、目を合わせたらそのまま取り込まれてしまいそうだ。
「まだ陣痛の間隔が長いの。その時が来たら、瀬名くんが連れていって」
「どうやって?」
「タクシー呼んで」
「わかった」
かつてないほどの会話を、かつてないほどの距離で交わす。
重圧に潰されそうになる。
ドキドキが止まらない。
頭がテンパってうまく働かない。
だっておれはまだ高校生で、妹も弟もいない。
こんな体験、生まれて初めてだ。
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