12月9日 太田家の惨劇

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12月9日 太田家の惨劇

秋から冬にかけ、開拓村では収穫した農作物を出荷する様々な作業に追われていた。三毛別のような僻地ではそれらは人力に頼らざるを得ず、男たちは出払い気味になっていた。そんな12月9日の朝、三毛別川上流に居を構える太田家でも、同家に寄宿していた伐採を生業とする長松要吉(通称・オド)(59)が一足早く仕事に向かい、当主の三郎(42)も氷橋(すがばし。木材で骨組みを作り、その上を雪や氷で覆って凍らせ、固めて完成させた橋)に用いる桁材を伐り出すため出掛け、三郎の内縁の妻・阿部マユ(34)と太田家に預けられていた小児・蓮見幹雄(6)の二人が留守に残り、穀物の選別作業をしていた。
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