Floral

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   わたしの首筋を撫でるのは、かさかさとザラつく皮膚。  繊細なんていう言葉とは完璧に無縁な、節張ってて、太くて短い指。 「シズルはいいなぁ、いつも綺麗で。汚れることがなくて」  加地の腕からは、ハンドソープの香り。  真っ黒な、機械油がついたままでは、絶対に私に触らない。 「加地が自分で、そういう仕事、選んだんでしょ」  むき出しの肩に貼りつく髪の毛を払うように小さく首を振ると。 「くすぐってぇよ」  加地が、その四角い顔に似合わない甘ったれた声を上げた。  熊みたいな男のくせに。 「好きなんでしょ、今の仕事。  汚れるくらい、何よ」  加地が、疲れたーと言ってドアを開ける時の顔を知ってるのは、今のところ、私だけだ。  あんな嬉しそうに疲れてる男は、他に見たことがない。  鼻の頭についた、黒い煤汚れを鏡で確かめて笑ったり。  作業着に空いた穴を自慢げに見せびらかせてきたり。  好きで堪らないのだ。加地は。 「汚れるのが好きなわけじゃねぇよ?  仕事すんのが楽しいだけ」  私の心をタイミング良く読んだとしか思えない、加地の間。 「それにさ。やっぱ、普段は汚いもんばっか見てるからさ、綺麗なもんが好きなの」  飾り気がない分、ストレートに突き刺してくる、言葉。 「だからさ、シズルはいいな。  いつもいい匂いがする」  胸元に沈められる、ぼさぼさの黒髪を、こんなに愛しく思えるなんて。  熊の魔法だ。  加地は、何の変哲もない私の生活を、特別なもののように言ってしまう。  だから。  人間関係に神経使うのが大部分で、大事な仕事なんか任せてもらえないただの雑用が、とてもいいもののように思えてしまう。  お茶汲みやコピー、書類の整理や電話の取り次ぎしかさせてもらえない、つまらない仕事なのに。  加地が喜ぶなら。  いつでも、綺麗でいてあげる。  恥ずかしくて、とても、加地本人には言えないことだけど。    
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