45空手にして立つ今の頃

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2011年7月。私は空手にして立った。 妻と子供はいる。しかし妻は、統合失調症で若年性痴呆と人格の解体という症状がある。 そして子供は6ヶ月。エスぺランスという施設に預けてある。それが、かわいそうだという人もいる。しかし、人間は「空手にして立つ」。分かりやすくいえば裸一貫からのスタートを魂の奥底では願っているという。 私はそれができた。 博士号のとれるといわれた発見はし、本も協力出版などしてきた。しかし生活は、生活保護だった6月より、下水道代と国民健康保険代が八千円も多く要るのに妻と二人で生活保護と同じ月20万円だ。 これが「空手にして立つ」あるいは裸一貫からのスタート以外の何者でもないだろう。 計画的には、三重大学に受かる。そして高校卒業程度認定も受かった次の年から三重大学に行くというものだ。三重大学には受かるだろうが、高卒認定は今年中か来年受かるかわからない。 そして、大学院で論文指導を受け、博士号がとれる発見はしているからそれを論文にし博士号を取る。その他にも布石はある。この文もだが、今日も孤独の時代という七枚の原稿を書いている。 それに四日市文芸賞にも「信長と信長の手相・人相」というねを投稿してある。 それが通るか通らないかはわからない。 しかし、それに通るというのは、それにふさわしくて、それ相応の努力をした公平な判断による結果であって、通らなければ、ふさわしくなく、相応でなかっただけの公平な判断だったということだ。 私にふさわしいところがあれば、その才能を世の中はほおっておかない。 処女詩集『聖歌集』には曲のついた詩が載っているからそのCDも出したい。 作家にももちろんなりたい。
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