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つぶやき
『仕方ない、生き物はいつかは死ぬんだ』と、幼い僕に父はそう言った。その顔が、今でも心に残る。
父は自然の摂理を僕に教えたかったのだろうが、小学生の僕には残酷な言葉でしかなかった。人が土に返る。そんな事はとても受け入れられなかった。絶望感から眠れず泣き続けた記憶がある。
あれからずっと「死」が頭にこびり付いている。友達と話してみても彼らは気にもしていない。「死」を当然のように受け入れている。父のように自然の摂理と言う者もいる。まてまて、本気で考えた事があるのか? かなり疑問だが、あんな風に割り切って言える同級生は大人に見えた。
父はスポーツマンで、体はガッチリしていた。若い時は父と衝突して、ビンタされた事がある。なかなか痛かった。あまり内容は覚えていない。反抗期には、よくある事だろう。父の白髪が増えた頃、僕の反抗期は終わった。今では僕も父親となっている。子供は2人。どちらも男だ。親の目を持つと、当時の父の気持ちがわかる事がある。やはり経験が必要なのだ。子供たちよ早く父の
真意を理解できるようになってくれ。
父が55歳で定年退職した年、癌を患ってしまった。手術をして今は元気なのだが、あの時は結構大変だったようだ。母は、遠方にいた僕に気を遣い『たいした手術じゃないから』と、癌の事は話さず『帰って来なくて良い』と、僕に告げていた。僕も忙しさのあまり、その言葉を鵜呑みにしていた。後に帰省した時、大手術だったと聞かされた。しかし、父の表情はとても穏やかで、服の上からも以前の父となんら変わらなかった。なのでその時はあまりピンとこなかっが、翌日一緒に温泉に行って裸の父の姿を見た時、『本当に大手術だったんだ』と理解できた。右と左の体のラインが違うのだ。臓器をいくつか切除している。驚いた。僕なら気持ちが落ち込んだままだろう。人と会いたくもない。さすがは父だと思った。だが、手術する前日、父は『死にたくない』と言ったらしい。涙を浮かべていたという。父もやはり怖かったのだ。やっぱり辛かったんだ。そりゃそうだな。あの時『生き物は、いつかは死ぬんだ』と言ったクールな言葉は、実は簡単に言ったのではなかったのかもしれない。笑
みさえ浮かべていたように見えたあの時の父の表情、あれは僕への気遣いか・・・? 湯船に浸かる父の横顔がひとりの老人に見えた。
今思うことは『死んだらその先はない』という事。『だからこそ、今を大切に生きよう』なんて言葉は誤魔化しだ。『死ぬ事なんて考えるな』と言っているようなもの。その恐怖に正面から向き合っていない。だが、正面から向き合っても、分かるのは実際のところ、自分の老いてゆく姿くらい。突き出た腹をため息交じりに叩いても、何も変わらない。鏡の向こうには自分がいるだけ。これはどうしようもない事実なのだ。「死」をどうにかできる策なんてありはしない。事実は揺らぎはしないのだ。そういえば、うちの嫁も風呂上がりに鏡を見つめていた。自分の世界に入り込んでいると思われる姿は、ちょっと怖い。何を考えているのかは分からないが、もしかすると、僕の考える事なんて、彼女にはとうに分かっている事なのかもしれない。『フッ・・・』と、ため息ついた彼女を見て、そんな気がした。
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