何かできる事

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何かできる事

祖母は倒れてから歩けなくなった。そして体調を崩し、入退院の末、施設へ入った。僕は帰省の度に祖母の顔を見に施設へ行くようにしていたが、祖母は話し掛けてもあまり喋らなくなり、無表情になっていた。それでも顔を合わす度に、息子を紹介し、僕自身の名前も呼ばせていた。しかし、     時間という残酷な魔王は、日常の中から、記憶の世界へと、祖母を押し込めていくと、僕の名前さえ消し始めた。祖母は僕を見ると、先の大戦で戦死した祖母の弟の名を呼ぶのだ。さすがに、ショックだった。でも、正直な話をすれば、少し気が安らいでしまった。と言うのは、祖母が施設に入って、母が『少し記憶がね…』と嘆き始めた頃の事。 僕は初めて祖母のいる施設を訪れた。 祖母が居るのは4人部屋だった。母が少し大きな声で話していたが、僕は笑顔を取り繕うだけで、言葉が出てこないでいた。そのうち母が、タオルを洗って来るからと言って、部屋を出て行くと、僕と祖母2人っきりになってしまった。同居している頃は、ためらいなく話していたのに、この時はへんに緊張してしまった。 『どんな言葉を掛けたらいいんだ ろう…』切り出す言葉が浮かばなかった。 でも『僕の名前は…』と母が言うようにするには抵抗があったので、普通の調子で『ここの生活はどう?』と訊いてみた。すると祖母は『1日中ここから外を眺めるだげじゃないか・・・。お前ならどう思う? 』と返してきた。その瞬間、僕の体に電流が走った。『まとも・・・だ』そう思ったら、次の言葉を失った。1日中このままで、しかもずっと・・・。それは苦痛だろうに・・・。 その日以来、祖母のことを考える度に、あの時の電気がぐるぐると体を回り続けていた。だから、僕の名前が祖母の弟の名前にかわった時、ショックは受けたが、電気の痛みは和らいだ。 その後、祖母は食事ができなくなり、点滴で栄養をとっていたが、それも入らなくなったと言う連絡が母から入った。 それから3日後、祖母は永眠した。 実家に帰って、祖母の遺影を見ても電流は走らないが、生前の笑顔を思い出すと、自分への嫌悪感で胸がいっぱいになってしまう。ホントにばあちゃんへは、何もしてあげられなかったな。ごめんな。
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