第1章

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母は、私が幼稚園に入ってから化粧品の会社の仕事を始めた。 休日は、母が仕事でいない時が増え、殆どの日は父と妹、私の3人だけだった。 父がお昼にスパゲッティや、ラーメンを作り 家に居るときは、一緒にゲームで遊んだり、 出掛ける時は、遊園地等へ遊びに行ったりしていた。 今思えば、凄く仲のいい親子だったんだと思う。 当時は、何かと理由をつけて一緒に寝ようと、しつこくて、嫌いだった。 料理を殆どしなかった母は、 当然…当然? 家事もやらなかった。 洗濯物は、 着るものに困ったギリギリの頃に自分のと、 ついでに家族の分を洗濯機に入れ、干した。 全て自分でやるので、洗っていない日は、昨日のを着たり、 洗っておいても、シワクチャで、靴下は、毎回片方がなくなっていた。 洗っていない食器は、毎日溜まりっぱなし…。 そんな事を父や祖父母が、見逃しているはずもなく。 父方の祖母は、 毎年、運動会の時に泊まりに来るのだが、 毎年、家が汚いと祖母は分かっているので、 前日に祖母が泊まりに来て、掃除をし、 次の日祖父が来るという事になっていた。 その度に「はあ…」と、呆れたように溜め息をつく、祖母をみて、胸が苦しくなっていた。母方の祖母には、「何で出来ないの?」と叱られた。 父の方は、毎夜帰ってくる度に 怒鳴り声を散らし、 父が帰ってくる音がすると、私と妹は寝たフリをしていた。 年長組になると、その矛先は、私と妹に向かった。 母が居なくて、父が居る休日は、 私達、姉妹にとって苦痛になるものだった。 拒否すれば、強く腕を引っ張られ、それでもやらなければ叩かれた。 嫌で、嫌でたまらなくて、 母に助けを求めたが、そんな私達の手を振り切り、 母は、休日も家を出て行ってしまう。 どうして、私達がやらなきゃならないのか。 そんな事考えた事もなかった。 ともかく、やりたくない。 『大好きな母。』に助けて貰えない。 当時は ただ、悲しいという感情だけだった。
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