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母は、私が幼稚園に入ってから化粧品の会社の仕事を始めた。
休日は、母が仕事でいない時が増え、殆どの日は父と妹、私の3人だけだった。
父がお昼にスパゲッティや、ラーメンを作り
家に居るときは、一緒にゲームで遊んだり、
出掛ける時は、遊園地等へ遊びに行ったりしていた。
今思えば、凄く仲のいい親子だったんだと思う。
当時は、何かと理由をつけて一緒に寝ようと、しつこくて、嫌いだった。
料理を殆どしなかった母は、
当然…当然?
家事もやらなかった。
洗濯物は、
着るものに困ったギリギリの頃に自分のと、
ついでに家族の分を洗濯機に入れ、干した。
全て自分でやるので、洗っていない日は、昨日のを着たり、
洗っておいても、シワクチャで、靴下は、毎回片方がなくなっていた。
洗っていない食器は、毎日溜まりっぱなし…。
そんな事を父や祖父母が、見逃しているはずもなく。
父方の祖母は、
毎年、運動会の時に泊まりに来るのだが、
毎年、家が汚いと祖母は分かっているので、
前日に祖母が泊まりに来て、掃除をし、 次の日祖父が来るという事になっていた。
その度に「はあ…」と、呆れたように溜め息をつく、祖母をみて、胸が苦しくなっていた。母方の祖母には、「何で出来ないの?」と叱られた。
父の方は、毎夜帰ってくる度に
怒鳴り声を散らし、
父が帰ってくる音がすると、私と妹は寝たフリをしていた。
年長組になると、その矛先は、私と妹に向かった。
母が居なくて、父が居る休日は、
私達、姉妹にとって苦痛になるものだった。
拒否すれば、強く腕を引っ張られ、それでもやらなければ叩かれた。
嫌で、嫌でたまらなくて、
母に助けを求めたが、そんな私達の手を振り切り、
母は、休日も家を出て行ってしまう。
どうして、私達がやらなきゃならないのか。
そんな事考えた事もなかった。
ともかく、やりたくない。
『大好きな母。』に助けて貰えない。
当時は
ただ、悲しいという感情だけだった。
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