第2章

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小学校に入学してから、 面白くて優しい担任の先生と、新たな友達も出来て、 とても良い学校生活だった。 幼稚園の時は 平日の朝、何かと腹痛をおこしていて 幼稚園をよく休んでいたが、入学して一年は殆ど休む事なく過ごせていた。 学校が終わった後は決まった曜日に幼稚園でやっているバレエに行き、 日曜日は、 わざわざ、山梨から祖父も一緒に東京の囲碁教室に行った。 (祖父とは別で、東京と隣の県に住んでます) バレエは、半ば飽きていたが、 楽しい事だらけでとても充実していた。 あの時は『何にも恐れず』と言った感じで、 寧ろ、『あの時はすみませんでした(焦)』と 若さ?ではなく、幼さ故に起こした過ちを もう、本当に謝りたいくらい自由だった。 今でも、叔母に『綺麗じゃない』と言ってしまった事を後悔してます。 それから、『綺麗だね』と、言っても信用されなくなりました。 ハメを外しまくったからでしょうか。 今では、何も喋らないよう 社交辞令の様な言葉しか喋らないようになりました。 口を開けたら何を言うか分かりません。 自分でも恐ろしい。 でも、一緒に囲碁をしているお年寄りには 受けが良いんですよ? ちょうど、二年生になった頃でした。 一年生の時の様な『ほんわかさ』がなくなって、一気に厳しくなったように感じました。 先生のクラスメイトを怒る声に 凄く怖いと思った。 訳が分からないけれど、凄く怖かった。 そうして、学校が怖くなり、行かなくなったのです。 学校と言うと、先生の怒る顔ばかりが思い浮かぶようになっていった。 でも、今なら分かるんです。 私は、父と重ね合わせていたんだと。 厳格ではなかったけれど、 優しい時と怒る時の差が凄く激しくて、 優しい顔をしていた先生が急に怖い人になるのでは、と 怖くなった。 当時は言えませんでした。 ただ、『怖い』だけで 行かないなんて許されないと思った。 箱庭を作らされたのですが、本当に人見知りが激しかったので、 「あなたはここのどこに居るのかな?」と、 聞かれた時も 『自分はその中に居ない』という事を言いづらくて、適当に指を指したり。 そういう、ちょっとずつの事が重要だったのかも。 不器用だったから、伝えられなかったみたいで 今思えば、本当に笑っちゃうような事ばかり。 けれど、『あの時、ちゃんと伝えれば』 『あの時、もっと素直になれたら』
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