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「―――…ハン…ガリー…?」
パチパチと、長い睫毛が雫を散らし、輝きの戻った乙女の瞳に青年の顔が映って見えた。
(やっと…)
自分の方を見てくれた、と、安堵と共に、赤くなった乙女の頬への罪悪感が綯交ぜになって湧き上がり、青年は苦い笑みを浮かべた。
「第1連隊、構え!」
全ての音を押し退けて凛と響いた声に、青年はハッと振り返る。
歩みを止めない黒い騎兵が一斉に銃を構えるなかなかに荘厳だと、思った事で青年は、頭の隅に一欠け残っていた冷静さを表に引っ張り出せた。
素早く銃を背のベルトへ差し込み両の手を自由にする。
そして乙女を力任せに己の袂へ引き寄せ、
「―――てえっ!!」
彼女から砲撃の指令が放たれると同時に、鹿毛の愛騎の手綱を引っ掴んで雪の上に倒れ込んだ。
パパパパン―――と乾いた音が木霊を重ねて満ちる中に悲鳴が混ざり、青年達の鼻先にも撃ちこまれた弾が雪を弾く。
破裂音が途切れた一瞬、青年は共に伏せている愛騎の背に乙女の体を引きずり上げた。
「ハンガリー!」
「落ちますよ!」
何かを訴えようとした乙女の声を受け流し、青年は愛騎を立たせる。
突如生まれた振動に短く悲鳴を上げながら、乙女は咄嗟に馬の首にしがみ付いた。
青年が腹を叩くと馬が脚を踏み出し、駆け出すのに合わせて青年はその背に飛び乗った。
「行くぞ、ジークリンデ!」
青年が愛騎の名を呼び手綱を打つと、心得たとでも言うように馬はその速度を上げた。
背後で2射目の銃声が鳴ったが、それよりも早く青年らは銃の射程を振り切った。
騎兵銃は歩兵の物より射程が短く精度も低い。
加えて、プロイセン騎兵は何故か巨漢が多くその為に鈍足であり、路面が同じ条件下ならばハンガリー騎兵の脚にはとても適わない。
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