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マリア=テレジアは、新興国家プロイセンの脅威に対抗すべく、対外政策を転換し、フランスとの同盟関係を画策した。
長年、干戈(かんか)を交えたオーストリアとフランスであったが、プロイセンに対する方針で利害が重なり、同盟の運びとなった。
その一環として、フランス王太子ルイ=フェルディナンの息子ルイ=ジョゼフ(ブルゴーニュ公)とアントニアのすぐ上の姉マリア=カロリーナとの婚約が水面下で推し進められた。この政略結婚により、同盟をより強固なものにしたいと考えての事だ。
ところが、事態はそう容易くはなかった。
一七六一年復活祭の日、ルイ=ジョゼフが結核により逝去する。同盟に向け、両国が交渉に入ろうとした矢先の事だ。
そこで、フランスは急遽、ジョゼフの弟であるルイ=オーギュスト(ベリー公)を代わりの婚約者に立て、交渉の仕切り直しを計った。
これを受け、オーストリアは一七六三年五月に使節大使として、メルシー伯爵をフランスへと派遣する。
しかし、長らくの間、敵対して来た両国は、互いの面子もあり、交渉は中々進まずにいた。
また、フランスでは国王ルイ15世が画策する今回の婚儀に対し、猛烈に反対する者があった。オーギュストの父、フランス王太子フェルディナンと母マリー=ジョゼフ=ド=サクスである。
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