影女 1

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 現代日本の朝は騒がしい。  駅で仕事場や学校に向かう人々はぎゅうぎゅう詰めになりながら菓子に群がる蟻の如く、さもそれを当然と認識する。  囀る小鳥の鳴き声や、風の囁く声に耳を傾ける余裕も無く朝から活動する日本人は動き続けて居るのだ。  それを無意味だと知る人間も当然居るだろう。  だが、大抵の民衆は現在を手放す事は絶対にしない。五月蝿く陰鬱とした日々に文句を言わず快楽を貪るが為に働き、結局堂々巡りと成る日常に電脳世界と言う新たな捌け口に愚痴を零す。  それが現代の日本、そして日本人であり戦後から復興し先進国と成った努力の面影は、過去に傲りを見出す人間で塗り潰される。  情報に惑わされ、遠くの人間に野次を飛ばし同時に賞賛する。  矛盾を世界が孕んでいる事は何時の時代も変わらないが、現代では毛糸玉のように絡まった部分も解らなく成ってしまっていた。  そしてその社会に当てはまろうとしない人間が居る事は世の常。  喧騒が覆い隠す都市に点在するコンクリートの塊の一つ、差ほど大きくも無いビルに暖簾を構える雑誌社。  無論、その場の人間も各々の仕事に奮闘すべく忙しなく身体や指を動かし仕事に励む。だが、その中に全くと言って良い程身体を酷使せず、古いパイプ椅子に座り腕を組む男が一人。  その男は季節は春の全盛期だと言うのに、分厚い茶色いコートを室内で羽織り、その下には時代違いとも言える青と白が交差する着物を纏っている。  腕を組む様子と表情はさながら書生が金銭に悩む時と同じく、一見の真剣味の中に大したことでは無い案件に脳を回転させているのだ。  現代社会にこのような服装も行動も合わぬ人物の周りには当然他の社員が通る。  そこで一度文句や注意の一つでも付く事が筋なのだろうが、社員は全くそれをしない。  呆れた様子も羨む様子も無く日常の光景の一部として扱って居る異常は、注意が無い物だから至極当然、体勢を変えずに物思いに耽る時間を増やして行くのだ。
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