はじめに

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母の生い立ちは、父方の祖母によく話を聞いていた。 母が死んで十数年が経ち、 生まれたのは香川のとある場所で。実家は裕福な農家である。 実際、母が生前時家族と行ったことがある。 今では、疎遠になっているけど。 中学卒業し、船で岡山に来たことや元ヤンであったことや、水商売で今の父に出会ったこと。 父方の祖母に反対され、かけおちまでしたこと。 母はバツイチで前夫との間に子供が3人いることなど。 祖母に聞いた話。 今言えることは、父も母もお金にだらしなく浪費癖であったこと。 それは、あたしが母が死んでから知ったこと。 母の死んだ際に、最後に母と会話したのは、あたしだった。 記憶という物は、その会話すらも忘れて消えてしまう。 覚えているのは、母が死んだ日、あたしの学芸会を見に学校へ来ていてビデオにおさめて見せてくれたことだけ。 その後、そろばんの塾にあたしが行かなければ、母は死ななくて済んだのかもしれない。 未だに消えない、傷。 最期だと知っていたとしたら、あたしは何て声をかけていたのだろうか。 母が死んで、幼いあたしは遺体を前に呆然と立ち尽くしていたことしか記憶がない。 ドラマみたいに名前を呼んで、泣きじゃくっているべきだったのか。 頭が真っ白で、何も口にできなかった。 母のお葬式で、初めて父が涙した。 母の不自然な死にざま。 いつもは放し飼いの犬たちが、その日だけは部屋に閉じ込められていたと父から聞いた。 あたしが塾にいかなければ、こんなことにはなっていなかったのかと、何度も何度も想う。 後悔は時として無力で、残酷で傷は消えはしない。 記憶は薄れて忘れてしまっても、鮮明に思い出すのだろう。 心に傷ついた涙は、簡単には消えない。 消して癒えることはない、記憶。 その当時、小学5年生。
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