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修平が頷いたのを確認して、智美は背を向ける。そこで修平が呟いた。
「厳しいからって途中で投げ出すんじゃねぇぞ」
智美の顔を見ながらでは絶対に笑えなかった。明確な別れを前に笑えるほど修平は鈍くない。そして修平が涙を見せる時、抑えきれなくなった本音が智美を苦しめる事は分かっている。だから修平は最後に笑った。智美を応援したいという気持ちは本当で、誰よりも大切な彼女を苦しめるなんて考えられないから、不恰好な笑顔に全ての気持ちを乗せて――笑った。
智美がこの町を去って一ヶ月。修平は毎日のように寂れた停留所に来ていた。就職した工務店の終業時間に合わせて十八時きっかり、ベンチに腰を下ろす所作には既に慣れが滲んでいた。
カラスのとぼけた鳴き声が聞こえてきそうな空の色。人通りの無い停留所前の道は赤く染まっている。停留所の前に小さなバスが停まったのはそんな時だった。
いつもなら少し時間を置いて発車するバスが、今日は随分と長く停車している事に気付いて修平は顔を上げた。そして、運転席に座る定年間近の老人と眼が合う。にっこりと微笑んだ老人が唸っていたエンジンを止めて修平の前に立つまでの数秒、修平は事態の把握に努めたが結局答えは見つからなかった。
「隣に座っても?」
「あ、はい。どうぞ」
丁寧な口調で話し掛けてきた老人に戸惑いつつ、修平は頷いた。
ゆったりとした落ち着いた動作は重ねてきた経験の豊富さを表し、顔に刻まれた深い皺は彼が過ごしてきた歳月を感じさせる。整えられた白髪も老人が身嗜みに気を配っている事を窺わせた。
「立ち入った話で恐縮なのだが、何か悩みがあるのではないかね?」
そこまで言って老人は一呼吸分の間を置いた。
「この一月の間、きみは毎日ここに来ているね。そしていつも落ち込んでいるように私には見えたんだ。この歳になってくるとお節介が趣味みたいになってしまっていかんな」
孫にもよく怒られるんだ。そう言って笑う老人の温和な笑みは確かな温かさを湛えていて、修平の悩みを話しても良いのではないかと思えた。
「なるほど。大切な人に本心を言い出せないまま送り出してしまった事を、きみは後悔しているのか……」
「はい。その時は勿論それが一番の選択だと思ったんです。気持ちを伝える事で智美を苦しめるんじゃないかって」
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