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修平が心内を語っている間、老人は静かに耳を傾けていた。時おり頷く事で修平が話し易いように配慮する事も忘れない。
「一番の後悔はずっと待っているって事を伝え損ねたことです」
ふむ……と顎に蓄えた髭を撫で付けながら老人は考え込む。沈黙の中で修平は心が軽くなるような感覚を覚え、こうして話すだけでもいくらか気持ちが楽になれた事に感謝していた。
そうして十数秒の沈黙を保っていた老人が口を開いた。
「私も人生経験が豊富な訳ではないのだが、言葉にしなければ伝えられない気持ちがあるように、言葉にしなくても伝わる気持ちというものもあるんじゃないかな? きみが相手の気持ちを考えられるように、相手にだってきみの気持ちを察する事が出来る。親しくなるのに時間は関係ないのかもしれないが、積み重ねてきた時間は今でも君たちを強く繋いでいるはずだよ」
老人のその言葉が修平の心に響いた。誰でも持っている相手を信じる心。自分と相手の間に絆という繋がりは生まれるのだと、修平は智美を待ち続ける事を二人の絆に誓った。
夕暮れ時であるとヒグラシが告げる。夏祭りは佳境に入り、そろそろ花火が上がる時間だ。停留所にバスが滑り込む。
間抜けな空気の放出音に続き、扉のスライドする音が修平の視線を奪った。普段は聞こえないヒールが乗車口を叩く音。運転席に座っている老人の顔が綻んでいるのが僅かに見て取れて、修平は破顔した。
濁った瞳は輝きを取り戻し、深く腰掛けていたベンチから腰を浮かせる。気が付けばヒグラシの大合唱は鳴り止み、今では二人の会話を遮る物は無い。女性は停留所に降り立つと、自衛隊がやるような敬礼をしながら口を開いた。
「ただいま戻りました」
四年と少し。たったそれだけの時間で智美は見違えるほど綺麗になっていた。修平の色眼鏡を差し引いても、大人っぽさの中に幼さを残した綺麗な女性になっている。そんな智美に修平は在り来たりな言葉を返した。
「ああ。おかえり」
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