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夏の猛暑が教室に照りつけ、就職組の同輩たちを容赦なく襲う。皆一様に汗を浮かべている事からも、この教室に冷房の設備が無いのが窺える。修平もそんな額に汗する連中と共に机に向かう生徒の一人だった。
就職組は夏休み返上で就職セミナーに通い、蒸し風呂状態の男臭い教室で履歴書と向き合うか、筋肉ゴリラの異名をほしいままにする生活指導の教員との面接練習に勤しむかを迫られ――と言っても生徒諸君に選択の権利など無いが――強制的に連行された面接組の断末魔を背に、履歴書組は『明日は我が身』という言葉を強く噛み締めた。
何度目かになる失敗。修平は緊張すると文字が小さくなるという悪癖があった。その上、ボールペンのインクが少し漏れてきて、唯でさえ小さな文字が潰れて読めなくなるという失敗を、かれこれ六回繰り返している。集中力は限界に近かった。
シンプルなデザインのボールペンを机上に放り投げる。その体を盛大に打ちつけたボールペンは、カランという渇いた音を立てて動きを止めた。
ふとした瞬間に修平は考える事がある。今年の夏に入って、智美の様子が少し変なのだ。二年の間で智美は随分落ち着いた女性になったと思う。勿論、冗談で泣きまねぐらいはするのだが、以前のような子供っぽさが無くなったのだ。恐らく進学や就職のムードに圧倒されているのだろうと修平は考えていた。
自分だけが進路を決められないでいる事を、智美は気にしているはずなのだ。
そこで修平の脳裏に名案が浮かんだ――
「夏祭り?」
「ああ。気分転換も兼ねてさ」
人間は適度な休息が必要な生き物である。智美のように四六時中頭を悩ませていても良い事なんて無い。一週間の間に休みがあるのは肉体の疲れを癒すためだ。それは精神的にも言える事だと修平は考えた。気分転換とは修平自身ではなく、智美に対しての言葉である。そしてもう一つ修平には考えがあった――
この時期の誘いだ。断られる可能性を考慮していた修平だが、それは杞憂に終わったらしい。笑顔を浮かべて頷いた智美を見て、修平も笑顔になる。
待ち合わせの場所も時間も言葉にしないで伝わるのだから、二人の仲の良さが伺える。二人にとっては幼少の頃から続いてきた約束だ。それこそ記憶を失っても忘れない自信が修平にはあった。
約束を取り付けた修平は別れの挨拶もそこそこに、自宅への道を駆け出した。
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