言えなかった言葉

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   町興しの為に始まった夏祭りだが、その目論見は成功しているように見える。少なくとも、この祭りが無くなるとなれば役所に人が詰め掛けるであろうこと請け合いだ。    屋台が居を構える商店街を抜けた先、普段はあまり人の出入りがない神社の境内は人で溢れていた。 「相変わらず凄い人の数だね」  智美が唸るのも当然だ。見渡す限り人で埋め尽くされている。人の放つ熱気がより一層体温を上昇させ、今にも倒れそうだ。子供などは人波に飲まれてしまっても不思議ではない。  そんな中、智美は修平の左手を掴んだ指に更に力を込めた。  鼓動が僅かに速度を上げたのを感じて、修平は人波を掻き分ける。智美は浴衣に下駄というスタイルだから進むスピードは遅い。だが、そんなゆったりとした姿が祭り色に染まったこの町にはよく映える。結い上げた髪から覗くうなじが普段の智美には無い艶を醸し出していて、修平は智美を直視出来ないでいた。  そんな修平の心を知らず、智美は僅かに頬を膨らませる。理由は単純だ。ここまで二十分近く掛けて歩いてきたが、浴衣に対しての感想が修平の口から未だに出ていないのだ。  それにも理由がある。智美を直視できない修平が『綺麗だ』や『似合っている』なんて明け透けな賛辞を送れるはずがないのだ。  二人が出店の物色を終えた頃には八時になっていた。この夏祭りのメインイベントと呼べる花火の打ち上げだ。一時間に渡って様々な花火が打ち上げられていくのが特徴で、年間を通して行事が少ないこの町の予算は、殆どこの花火に消えていると言っても過言ではない。  そうして力を入れているイベントなだけあって集客率は高めだ。この町の住人なら自宅の窓からでも花火を拝む事は可能である。しかし、目の前に広がる人込みを見ていると殆どの住人が足を運んでいるように修平には感じられた。  夜空に一つ、二つと花が咲く。地面から昇る流星が中空で花弁に変わる様は綺麗の一言に尽きる。智美はもちろん修平も瞳を輝かせていた。何度見ても綺麗なものは綺麗なのだ。  川向こうから上げられる花火は、神社から一望できる。ただ、人が多いのが難点で、落ち着いて花火を眺めるには適していない。修平たちは秘密の穴場へと歩を進めていた。  
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