序章【天命】

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── 目覚めはいつも心地良い。鳥の透き通るような鳴き声で起床し、大きな外開きの木製窓から吹き込む冷たい山風が身体を優しく撫でる。 ぼさぼさの寝癖を手櫛でとかしながら、俺は窓辺に腰掛けて窓から外を眺める。 時刻は午前六時。まだ完全には日も昇っていない。 家の周りには、広い範囲に芝が張られていて見晴らしが良く、林までの距離は少し遠い。今は雪で白銀の世界になっていて、なんとも幻想的だ。 ここから外を眺めるのは毎日の日課になっているのだが、今日はいつもと少し違っていた。 いつもは視線が定まらずに左から右へと眼が泳ぐのだが、今は一点に定まっている。 「なんで俺……あんな賭けを受けちまったんだろうな……」 人生は後悔の繰り返しだ。昨日は正しいと思ったことは間違いで、間違いだと思ったことは正しかった、なんて事も多い。 ……今がまさにそれだ。 昨夜、唐突に俺の前に現れた死神と名乗るやつが賭けを持ち出してきた。しかも、それは強制的で受けなければ冥府へと連れていくという、なんとも馬鹿げた話だった。 しかし、どこか不思議な雰囲気を纏ったそいつの馬鹿げた話を、俺は真に受けてしまったんだ。 その馬鹿げた賭けの内容とは、 『自分の命を価値あるモノと証明しろ』 俺が自分の命を生かす為には、俺の命は価値あるモノだと証明する署名を“五つ”得ること。 机に目を向けると、そこで一冊の黒い手帳とインクの無いガラスペンが威圧的な存在感を放っていた。 これは死神が去り際に置いていった手帳。これに死神が俺に提示した全ての条件が記されており、この手帳に署名させることでその内容に同意した事になる。 しかし、その手帳には“人間世界の物”が干渉する事はできないらしく、普通のペンなどでは字が書けないそうだ。唯一干渉を許されたのが、このインクの無いガラスペン。 その肝心のガラスペンのインクだが、それは心の動揺が糧となる。ガラスペンに触れた者が、その時点で抱いている俺に対する心の動揺だ。感謝・愛情・尊敬など、その他の好意的な感情全てを総合した心の動きがインクとしてガラスペンの内側に溜まるらしい。 つまりは俺の命を取り立てて問題にしない者では、一文字は疎か点さえ打てないということになる。
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