プロローグ

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あれは僕が五歳の頃、父が転倒事故に遭って神戸市中央区のとある外科病院に入院した時の事だった。 その病院は、急な勾配の坂道にしがみつく様にして建っていて、坂道の北側には古い木造の病舎が、そして、細い路地を挟んで南側には、鉄筋コンクリートの新しい病舎が建っていた。 僕の父は、古い木造病舎の二階の個室に入院していた。 その日、僕は母と二人で、父に差し入れる為の弁当を携え、父の居る、その古い木造病舎の個室を訪れた。 父が、余り使われていない木造病舎の個室に入っているのには訳がある。 それは、父の見舞いに訪れる連中の人品骨柄が、一般の堅気の人達には、凡そ受け入れ難い、箏獰(そうどう)たる雰囲気を醸し出している所為だ。 母が用意した五段積みの弁当が、殺伐とした雰囲気の中、その人品骨柄怪しい連中と僕らで食べ尽くされた頃、僕は、喉の渇きを覚え、母に小銭をせがみ、売店に飲み物を買いに行く為、皆の居る個室を後にした。 日用品の売店は古い木造病舎には無く、新しい病舎まで行かねば飲み物は買えない。 僕は個室の扉を開け廊下に出た。 廊下には、それはモノレールの線路の様にして建物の至る所に手擦りが張り巡らされている。 しっかりと琥珀色のニスが塗られている木製の削りだしの手擦りは、しかし年数経過の為か、随分とそのニスが剥げていた。 僕はその手擦りに手を滑らせながら階段を目指した。
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