サンドバッグとチェリーボーイ

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 最近は、屋上にいることが多くなったかもしれない。創立何十年か経っているこの学校は、30年ほど前に鉄筋コンクリートの校舎に建て替えられたそうだ。その当時は綺麗だったのかもしれないが、今となっては見る影もなく、どこもかしこもくすんでいる。屋上のコンクリートも、業者の人が時々掃除をしているらしいけど清潔とはちょっと言い難い。僕は、長田の隣になってしまってからというもの、家に積まれている前日の新聞の束から大きそうな広告を抜き取って持参するようになっていた。それを敷いて、屋上に座っている。  何かやることがあるってわけじゃないから、ただ空を眺めていたり、考えごとをしていたり、本を読んでいたりするだけだけど。  僕には、退屈って言葉の意味をあまり実感できたことがない。したいことや考えたいことや読みたい本は、いつでも僕の中で列を作っている。  そこに誰か「他人」が入り込む余地は、今のところは、ない。  僕には、退屈と同じように恋愛というのもよくは分からない。そもそも、その人の近くに常にいたいと思うような相手に出会ったこともないし、時々他のクラスメイトたちが騒いでいるような、女子の水着がどうとか、誰の胸が大きいとか、そういう話題も、何が楽しいのかまるで理解できない。  本を読むのは好きだけど、その点だけは時々困惑する。人々が自ら進んで恋愛という災厄に楽しそうに巻き込まれてゆく話は、どうしてもフィクションとして、「そういうもの」なんだなあ、という風に冷めた解釈でしか見ることができない。現実に魔法や超能力がなくても物語の中ではあるのと似ていて。物語の中では、そういう不思議な力を持った何かが猛威を振るっている、と、そんな感じで捉えている。  世の中の「物語」たちは、まるで当たり前のように恋愛を肯定するので、僕は僕自身の現実としてそれを理解することがなくても、フィクションの一種として楽しむことはできている。でも、ゲームで言うとこの「技」はあまりにチート(ずる)すぎる、っていつも思うのだ。自分が死ぬのも、人を殺すのも、物を盗むのも、人を裏切るのも、全てを恋愛のせいにすれば簡単に正当化できてしまう。トランプのジョーカーみたいに。モラルの外側にいるオールマイティスキル。
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