26人が本棚に入れています
本棚に追加
/97ページ
ぽっかりと穴が開いたように、自分や周りのことが頭から抜けてしまっていた。
「私はなぜ逃げていたの? 宵ちゃん!」
返事はない。誰もいない。誰も追ってはこない。
そう直感し、先程とは違う恐怖が少女の中に生まれた。
ここは人の立ち入る領域ではない。人間としての本能がそう告げている。
どうして、ここへ来てしまったのだろう。
「っ痛」
痛みが全身を支配した。我に返った体に、転倒したときの痛みが押し寄せてきたのだった。
「ここは」
見上げれば古代の苔むした塔の廃墟群と、巨大な樹木とが高くそびえ立ち、それらが天井のように視界を覆っていた。
その合間から滴る雨が冷たく体を打つ。
神話になるほど古い時代から続く、言い伝え。
廃墟の樹海。
人が立ち入ってはならぬ禁断の地。
立ち入れば二度と出られぬ迷宮。
鬼が住むといわれる、この世の地獄。
少女の記憶している歴史の本に、そう書かれていた。読んだことがあった。
思い出せないでいることも沢山あったが、忘れないでいることもあったのだ。言葉や一般的な常識は後者だったのだろう。
ぶるっ、と少女が体を震わせる。
本来、少女は神殿の敷地内から出たことなど、これまで一度としてなく、外界の景色など知る由もない。比べる術もない。
だが、記憶を失くし余分な情報が消えてしまったことで、より鮮明に本の中の解説や挿絵が比較された。
この土地がその禁断の場所なのだとは思いたくない。しかし、考えれば考えるほど当てはまる事柄ばかりのような気がしていた。
自分が何を失ったのかもはっきりと分からない中、微かに思い出す大切な事柄。
「そうだ。宵ちゃん、宵ちゃんを探さなきゃ」
日も落ちてきたのか、ただでさえ暗い廃墟の樹海は、真っ暗闇に近いほどだった。
もしここに片割れの少女がいたら。道に迷っていたら。
そう思い、少女は立ち上がろうとした。
姿を見失った、もう一人の少女を探そうと力を振り絞って立とうとした。
だが、立てない。何度立とうとしても力が入らなかった。
「っ。私は誰を……何を探していたんだっけ。宵、よい? 誰」
冷たい雨が、動きを止めた体から体温を奪っていく。
最初のコメントを投稿しよう!