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「セルシム」
真っ暗になった館で、主人がそう呼ぶと老執事がひょこひょこと歩いて現れた。特に灯りなどなくとも夜目が利いているようだ。
何が“すぐに戻る”だと言いたげな、おどけた顔でセルシムは主人の下へ向かった。
イークウォルが館に帰還したのは、実に2日ぶりの夜のことであった。
「おかえりなさいま」
ふと、足を止めた。違和感がしたからだ。
「おや、旦那様! 一体なにをお持ち帰りに!?」
開口一番にそう言うと、セルシムはギョッとした表情で動きを止めた。
雨と泥の湿った臭いに混じり、微かだが、濃厚で芳しい血の香りが鼻腔をかすめる。
セルシムは、己の主人が血を流すことなど無いと知っている。この血の匂いは、生きた人間の香り。
「分かっているだろう? 人間の娘だ」
「だ、だから。なぜ、旦那様が人間の娘を」
「助けて欲しいと言われた」
「旦那様。今まで、そのようなことを言われても……人を助けたことなどありましたか?」
「さぁ、憶えていないな。これしか拾ったことはないよ。1万年近く」
「そうでしょうな。では何故に人の子を拾われますか?」
「これは、まぁ。特別に」
彫刻のように整った顔はいつもと変わらない。だが、セルシムは気付いていた。
主人のその表情が、どこか嬉しそうで、それでいて悲哀を含んでいることを。
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