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「旦那様」
「何か用でも? セルシム」
途端に館の主の面持ちは、幾分か柔らかいものに変わる。
セルシムと呼ばれた老執事は主人に目配せと敬礼をしながら本題に入った。
「は、失礼いたします。旦那様、只今、雷が森に落ちたようで。このセルシムが様子をうかがって参ろうと思いましてな」
「そのことか。いや、いい。わたしが行く」
「しかし、旦那様。この雷ではすぐに降り出しますぞ。近頃、雨が続きますから」
セルシムは困り顔で言った。己の主人を雷雨に晒したくないのであろう。忠義が厚い。その間にもイークウォルはエントランスに向かって歩き続けていた。
「セルシム、お前はもう歳だ。それに雷が落ちた地はあれが眠る場所に近い。お前も知っていよう? わたしが直接見て来たいのだ」
「ならばなお更、この老いぼれも供にお連れ下さい」
「ふむ。年寄りは留守を守っていてくれないか」
「ん? な、歳ですと!? 心外な。この状態で、あと3000年は生きられます! 旦那様が血を下さらないのがそもそもの原因なのですからな。全くどっちが年寄りですか」
「さぁ、どうだっただろう。だが、行くのはわたし一人で足りるさ」
イークウォルは荘厳な細工が施されたドアを開く。
そして再度、雷雲立ちこめる空と黒煙が昇る樹海を瞳に映した。
セルシムは残念そうに主人の肩にマントを掛ける。
「心配するな。すぐ戻る」
ポツ、ポツ、ポツ
と窓に打ち付ける雨粒が最初は僅かに。
そして、あいだも置かず増えていき、瞬く間に豪雨となった。
激しい雨と雷の音が、先程まで静寂に包まれていたこの館を覆う。
「酷い雨だ」
そう言って、イークウォルは傘も差さず館を後にした。
「まったっく。旦那さまの『すぐ』は何日かかることやら」
そんな老執事のお小言は、雨にたちまぎれ、消えてしまった。
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