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しかし怜奈は、祖父母の住む家には行かなかった。
アパートを借りて、一人で生活するから生活費だけ送ってくれと、何とも図々しい事を言って退けたのだ。
6回に渡る電話での説得、2回に渡る直談判を押し切った怜奈の一人暮らしは、こうして始まった。
住んだ所は、元母親の住まいの真向かいだった。
勿論狙っての事だ。
「向かいに越してきた青井怜奈です。どうぞ宜しく」
そう言った怜奈に対し、驚きのあまり魚の様に口をパクパクさせた元母親。
怜奈は立ち直る時間を与えず、引っ越しの挨拶に定番の洗剤を押し渡し、冷ややかな目で微笑して踵を返した。
怜奈はこれが一番辛い仕返しだと思っていた。
自分が捨てた子供が真向かいに住み、朝のゴミ出しで出会えば笑顔で会釈、他愛のない会話をする。
どこにでもある朝の光景。
だが相手は、自分が捨てた子供。
そう考えると、顔がにやける。
すくすくと育って行く我が子を、蚊帳の外で見ている……いや、見せ付けているのだ。
自分が相手の立場だったらと考えると、怜奈は身を震わせた。
何事も無い事が、返って不気味にさせている。
「今度料理でも教えて貰おう。何て言うかな?」
意地の悪い事を考えていた怜奈の前に、バスが停車した。
いつもの時間だ。
開け放たれたドアをくぐり、怜奈はバスに乗り込んだ。
それが、恐怖の始まりとも知らず……
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