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先付 『〆鯖と芽かぶの土佐酢』
「翔悟、聞いてる?」
「ん、聞いてるよ。ちゃんと」
「じゃあ反対なの?私が海外に行くこと」
「いや、反対はしないよ」
外はまだ肌寒い日が続いているのに、店の中央には桜が大きく生けられていた。人の動きに反応して、静かに花びらを漂わすその光景はとても美しかった。
(まるで別の空間…)
「それって賛成もしないって風にも取れるんだけど」
紗雪は目の前にある先付に出された小鉢の縁をなぞりながら呟いた。
「…冷たい言い方に聞こえるかもしれないけど、俺としては好きなだけ行って来なよって気持ちなんだよね。紗雪がやりたいことするために行くんだし、何よりも紗雪が目標としてたことが実現できるかもしれないんだろ?」
「それはそうだけど…」
「何?もっと別の、引き止めるような方が良かった?」
「…やな感じ」
そう言いながらも紗雪の口元は柔らかに微笑んでいた。一度諦めかけた夢が実現できるかもしれない状況で、やはり嬉しさは隠せないらしい。
(つくづく嘘がつけない奴だよな)
俺が何か言っても外国行きを諦めるような性格なんてしてないのに、そう思いながら翔悟は目の前のウィスキーの入ったグラスを空にした。
「何笑ってるの?」
「ん?」
「なんか一人で楽しそうなんだけど」
「別に。ただ…夢が叶うのって嬉しいよなって思って」
「うん。嬉しいし、身体中に幸せが溢れるっていうのを実感してる」
「そうみたいだね」
翔悟は空になったグラスを下げにきたスタッフにウィスキーのロックを注文した。
「ダブルでよろしいですか?」
「うん、ありがと」
「…相変わらず日本酒苦手なの?」
おいしそうにウィスキーで喉を鳴らすのを不思議そうに見ながら紗雪は聞いた。
「別に苦手ではないんだけど洋酒の方が慣れてるから。日本酒、注文したら?」
「じゃあ雪の茅舎を一合」
店内の雰囲気はいつもと変わらない。元気のいいスタッフの声と、楽しそうに調理をしている板前さんたち、料理と酒と会話を心から楽しんでいる客。全ての波長が合った、独特の空間。
「なんか日本を出るって決心してから、あっという間に時間が流れた気がする」
「充実してる証拠じゃない?」
「そうかも。さんざん悩んだけど自分の選んだ方に満足してるから。良かったんだよね」
(確かに…)
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