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山南さんは切腹した…。
その切腹はこれぞ本来の形だとでもいうべきくらいに凄かった。
介錯の沖田さんによしと言うまで斬るなと言い、苦しむ山南さんを見たくないがために今にも切り落とそうとする沖田さんに怒鳴りつけながらもそれを立派にやりとげた。
近藤さんはそんな山南さんをみて泣きながら
『浅野内匠頭でもこうは見事にあい果てまい』
と涙を流していた。
一方、明里さんは八木さんの家にて休ませてもらっていた。
その顔は涙で真っ赤に目が腫れて痛々しかった。
わたしは屯所を出て近所をぶらつく。
ふと桜の木に目をやった。
すると早咲きの桜の花が僅かにだが開いているのがうかがえる。
わたしには何故だかその桜の花が山南さんが元気を出してと笑っているかのように思えてきて、一人静かに涙をこぼした…
─一八六五年・元治二年二月二十三日─
新選組、壬生浪士組として京都に上洛した時から早二年。
二十二日に脱走した山南敬助は大津にて追っ手の沖田総司に連れ戻されこの日、脱走した罪により法度に背いたとして沖田総司の介錯で切腹。
その最後は見事だったと伝わる。
享年三十三歳。
彼の脱走した真の理由は闇に閉ざされたままである…。
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