偽りの世界

3/7
前へ
/13ページ
次へ
 そのとき母は仕事で出払っていて、私一人だけが、自宅でひっそりと息づいていた。といっても別に、引き篭っていたわけでもなんでもなく、やることがなくて船を漕いでいただけなのだけれど。  そのさなかでの侵入者。我が物顔で踏み荒らし、母も滅多に触れない棚を物色するその男は、  ――ふっ、と  幼い少女と称するに足る、当時の私を、視界に入れた。  それは、さながら獲物を見つけた鷹のように。そして、蛇に睨まれた蛙のように。もしも当事者以外に誰かが居たならば、そうみえたかもしれない。  逃げればよかったのだと思う。逃げれば、這々の体で逃げれば、あるいは『いま』と呼ばれるものはなかった。  ――けれど。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加