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「俺は、誰だ?」
男は身体を起こそうとした。
「──っ」
身体が痛むだけで、少しも動く気配はない。
それどころか何をしてなくても痛みがある。
仕方なく、目だけを動かして周りを見渡した。
身体は布団にくるまれている。
そしてここは四畳半ほどの小さな和室のようだ。
部屋には小さな卓袱台と二枚の座布団が置かれているだけで何もない。
そのことや身体が動かないせいもあってか、男には小さな和室が途方もなく広く感じられていた。
近くに人の気配は無い。 だが、人いたところで呼ぶ気にはならなかった。
──もう、どうでもいい。
男は何かどうでもよくなってしまった。
しかし、自分が何者であるか知りたくないと思っているわけではい。
しかし、記憶だけでなくもっと別の何かの喪失を、二度と取り戻すことのできない大きな物の喪失を感じていた。
男は目を閉じた。
ずっと目を閉じてしまいたかった。
それが単なる眠りであっても、死であってもよかった。
それで本当によかった。
なのに。
ガラララッ、バンッ、と引き戸をあける音が、遠くから聞こえた。
そして、また遠くから
トットットット、と廊下を走りする、小気味いい音がどんどん近づいてきて、勢いよく戸が開かれる。
「おきた!? ビービー!」
大きな、そして元気な声だ。
アーモンド形の大きな瞳。丸みを帯びた鼻。心地よい反発をおこしそうな頬。
赤いワンピースを着た十二、三歳ぐらいの、可愛らしい少女が部屋に入ってきた。
男はその瞬間。
先ほどまでの現実から逃避したい気持ちが薄れていった。
その代わりに幾多の感情が頭の中を掻き乱し、最終的に最もシンプルな感情が頭の中を支配した。
怒り。
そう、怒りだ。
──間違いなく、この少女とは初めて会ったはずだ。なのになぜ、怒りを、苛立ちを感じるのだろうか。
「!、ビービーがおきてるー!」
ビービー。
──そう呼ばれるのが俺は気に入らないのか。
男がそう考えている間に、少女は宙を舞った。
「おはよう! ビービー!」
その言葉と共に、少女は男めがけて飛び込んできた。
ボスッ、と音が鳴り、少女の頭は男の腹の辺りにめり込む。
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