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今回、津波被災地を歩いて思いました。
無理に理解を求めるのはやめようと。
自分は何も理解していなかった。
もしかしたら、思い上がっていたかもしれない、と。
だから黙ってやるべきことをやっていようと。
当たり散らして再び“私”のような人を生まないために。
だからテレビは見ていません。
この決意を揺らがせる誘惑が多いので(笑)
ある日、このようなことがありました。
どしゃぶりの夜、私は鉄板の上で足を滑らせて転びました。
ずぶ濡れになるのは避けられましたが、立ちあがるのに時間を要しました。
「大丈夫ですか」
一瞬、何だかわかりませんでした。
私の後ろに男性が歩いていたのは知っていましたが、それでも何のことかわかりませんでした。
当時は“偽善”に多く晒されていた時期であり、人の発言を理解し受け入れるまで数刻を要する癖までついていました。
でも、これは。
これに疑う余地はありませんでした。
「ありがとうございます」
男性は私が立ちあがったのを見て、先に歩いて行ってしまいました。
その後特に何があったわけでもありません。
どしゃぶりと夜とで、相手の顔など見えませんでした。
でも、それでも。
これが“善意”というものなのだと、私は思います。
だからどうか皆様も。
難しく考えることなく、自分ができることを、無理をせずに。
そこから自然に出てくるのが“善意”です。
私も、そうありたいです。
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