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春の魔力は恐ろしい。
さながら、何か新しい挑戦を試みろと言わんばかりに僕らを急かしてくる。太古の人々が、春は始まりの季節であると定義付けてしまったが故に、こうしてその風習が現代にまで根付いてしまっているのだろう。まったく、別に他の季節でもよかったではないかと、悪態の一つでも吐きたくなる。
はて、妖気に当てられたか。
ブレザーに袖を通しながら、そんなことを考える。
普段と変わらない朝になるだろうと踏んでいたのだが、いやはや、春の陽気言い換え妖気とは恐ろしい。元来放任主義の自分なのだが、今日に限って、やけに世話を焼きたくなったのだ。本当にどうかしている。
部屋を出て階下に降りると、姉さんは既に仕事に出掛けたらしく、リビングの座卓の上には「行ってきます」と書かれ、尚且つキスマークが滲んでいる置き手紙が鎮座していた。毎度毎度社会人らしく見送れないのか。
通学靴を履く。扉の装飾の隙間からは暖かな陽気が射しており、足元を淡く照らしていた。
行ってきます。
小さく呟くと、扉の取っ手を押し、いざ春一色の世界へ。
本来ならばそのまま右折して通学路へ向かうのだが、今日は向かいの家に視線を向けたまま立ち尽くし、数秒の間を要してから意を決してそちらに歩を進める。
彼女は取り合ってくれるだろうか。
インターホンを鳴らし、出てきた彼女の母親に事情を話してから上がらせてもらう。向かう先は二階の一室。何となく、その向こう側の景色が目に浮かんだ。
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