逸話

4/11
前へ
/36ページ
次へ
「ふう、やっぱり米っつーのは旨いなぁ」  口についたご飯粒を舐めると、満足した様子で地面に寝そべった。  そんな生活を続けて早二ヶ月経った春。なんだかんだ可愛がられていたこの犬は、冬も雪が降らないながらも寒さに震えることなく、数々の家を転々とした。  そしていつものように街中で昼寝をしていた時、鼻に違和感を覚えた。 「ふぇっくし! ……ほえ?」  寝呆け眼のまま、ゆっくりと目を開ける。ぼやける視界を瞬きしながら整えると、鼻の上に淡い桃色の物が乗っかっているのが分かった。 「なんだぁ? こりゃあ」  瞳を必死に顔の中央に寄せて凝らす。  それでも分からずに頭を悩ませていると、桃色の物体が上に動いた。 「あっ」  そこには頭を白髪に染め、背中を丸めた老人が立っていた。  目と口の周りに皺が刻まれ、優しそうな朗らかな笑みを浮かべている。  顔を上げて始めて気付いたが、村一体の木に、桃色の花が咲いていた。  風が吹くたびに空気中を舞うソレは、目を奪われるほど美しく、そして儚かった。 「これは“桜”と言うんじゃよ」  その景色を見るのに夢中になっていると、頭上からしゃがれた声が降り注がた。 「サクラ?」 「そうじゃ、毎年この季節にだけ咲くんじゃ。綺麗じゃろう?」  老人はそういうと、犬の頭にポンッと手をおいて優しく撫でる。  それが擽ったくって、犬は思わず目を瞑ってしまう。 「確かにこいつぁ綺麗だ」 「そうじゃろ、そうじゃろ」  初めて見る幻想的な世界に、すっかり魅了されてしまっていた。 「サクラか……」  見ているだけで心が癒されるような、そんな魔法にかかったように、時間も忘れて見惚れていた。  しかし、それも直ぐに現実に引き戻された。 「また、この時期がやってきたんじゃな……生け贄の」 「……え」
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加