天涯孤独の身となりて

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  時は元冶元(1864)年―― 昼間の茹だるような暑さの名残か、その日の京の都は東の空が徐々に藍に染まり始めても気温は下がらなかった。 往来の人々もまた一様に手で顔に風を送りながら家路を急いでいる。 少女、滋(しげる)もまたその中の一人だった。 老舗旅館で働く彼女はそこから程近くにある自宅へと向かう。 家で待つ兄はきっと腹を空かせて待っているに違いない。 「兄上にまた怒られちゃうかしら……」 妹思いの兄のことだ。 日頃から口を酸っぱくして「年頃の女子はこのような時間一人で歩くものではないぞ」と言う兄のことを思うと小言の一つでも覚悟せねば、と滋は苦く笑う。 小さい頃、江戸で父と母を飢饉で亡くして以来、兄妹二人で身を寄せ合って慎ましく暮らしている。 兄の心配性も仕方のないことだった。  
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