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糸数アブチラガマ(沖縄県 玉城村 糸数
太平洋戦争真っ只中の昭和十九年、米軍の沖縄上陸とその際の戦闘を想定した日本軍によって整備されたガマ。翌年昭和二十年四月より開始された沖縄戦において、住民の避難場所、野戦病院、そして軍の上層部の根城として使われる。
大変大きな洞窟で多いときには六百もの負傷兵を収容できたという。医者や看護婦、そしてひめゆり学徒隊数名が治療を行ったが、現状は次々と運び込まれる負傷兵に対して手がまわらず、その結果、多くの死者を出す。また破傷風などが脳にまわり、また精神に異常をきたした人間は脳障患者といわれ、ガマの奥に隔離された。そこに連れていかれることは死を意味する。
また、沖縄の方言を使う者はアメリカのスパイとされ、少しでも方言を話せば容赦無く軍によってその場で処刑された。住民は出口のすぐ近くで生活させられたため、脱走者を出すまいとし、みせしめとして罪の無い朝鮮人女性二人が射殺された。
ここにいる霊魂たちはガマに見学にきた者に縋りとり憑こうとするという。
現に私の父は高校の教師をしているのだが、かつてこのガマに修学旅行として見学しに入った際、生徒の一人が急にしゃがみ込み、わけの分からぬ言葉を口走ったそうだ。
幸いガイドさんが神主の娘で酒と塩でお祓いをし『もうあんな辛いことは起こりませんから』と唱えていたという。
ここで亡くなった方々が終戦から六十六年経つ今もなお、深い深い苦しみと悲しみを味わい続けていると思うと胸が痛くなる。亡くなった方々の冥福を祈るばかりである。
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