上司は選べない

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九月の中旬を過ぎると、空気が秋の空気に変わる。夏とは違う、どこかツンとしたところがある香りを持った空気。梨子はいつもより十分早く家を出た。毎週金曜日は、朝早く出勤して、身の回りの掃除をすることにきめているからだ。仕事をするまでは、自分がこんなに几帳面だとは思わなかった。部屋だって母親にいつも注意されて片付ける。 ただ仕事を始めてから、梨子は片付けが好きになった。速く正確に仕事をしようと思ったら、整理整頓が必要不可欠だからだ。 少しでもクオリティの高い仕事がしたい。一時期、本気で作家を目指した梨子の芸術家魂がきっと彼女をそうさせるのだろう。 社員証をかざして、梨子が二個目の扉を空けると、細身のきれいなスーツを着た男が、出張者に割り当てられている席に座っていた。彼は、机の下のカバンから、高速起動のモバイルパソコンを取り出して、少し目にかかった前髪をかきあげながら、梨子をみた。 どこかで見かけた顔だ。梨子は一瞬記憶を辿ったが、すぐにそれがビグマ部長だと気づいた。 スーツはシンプルなストライプのプラダ、時計はスピードマスター。カバンは少し外してカジュアルなものを使っている。年齢の割りにビグマはオシャレに余念がない。 「お久しぶりです。一週間前の飲み会でお会いしたの覚えていらっしゃいますか?」 ふたりきりの居室で最初に口を開いたのは梨子の方だった。ビグマは、ノートパソコンから目を話してこちらを見て微笑んだ。 「ああ、もちろん。」 ビグマ部長は爽やかな笑顔で笑った。以前の嫌味な感じが今日はない。オンとオフをわけているのか。だとしたら、余計に怖い。 それにしても、なぜビグマがここにいるのか…。梨子はハッとした。今日は来期からの組織変更がある日だったからだ。この時期になると新組織の人事発表がある。確か、今日がその日だと、情報通の同期が言っていた。 「今日はどうしてここに来ているんですか? …もしかして私の新しい上司とか?」 梨子は伏し目がちに、相手の本心を探るときの目つきでビグマを見た。 「…バレちゃったか。まぁ、午後には発表されるよ。これからよろしく。」 ビグマはそういうと、また爽やかに笑った。梨子は眉間に皺が寄るのを必死でこらえて、唇の両サイドを無理やり上に引き上げた。 上司は選べない…。胸の奥でため息をつきながら、梨子はつぶやいた。
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