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朝、クローゼットから洋服を選んでいると久しぶりにおじさんから話かけてくれた。
「行くのか」
「うん」
「…気を付けてな」
僕は驚いて、シャツを落とした。
てっきりまた行かないほうがいいと言われるのだと思っていた。
「おじさん」
僕はおじさんを呼んだ。でも、それっきりおじさんはなにも言わなかった。
「行ってきます」
僕は見送る声のない部屋を出た。
栗木さんとは駅前で10時に待ち合わせをしていた。
さすが女の子というか、僕が着いた時には完璧な待ち姿でそこに立っていた。
「ごめん、栗木さん。待たせちゃったね」
栗木さんは少し赤みかかった顔で微笑んだ。
「いいの!私が桜井くんを誘ったんだから。行こっか」
栗木さんはそういうと、僕の手を引いて歩き始めた。
急なできごとに僕は一瞬化石した。握られた手が、熱い。
それから栗木さんと映画を見に行った。
栗木さんは映画をみる前にこんなことを言った。
「遠野くんは、どんな映画見るんだろうね」
僕は話すことに困っていたので、よく知っている遠野のことがでてきてほっとした。
「遠野はホラー映画が好きだよ。あいつ、眉一つ動かさないでみるんだから」
「そうなんだ…」
吐息みたいに小さな声で、栗木さんがつぶやく。
僕はその日終始緊張して、映画が終わった後もずっと遠野のことばかりしゃべり続けた。
「じゃあまた明日、栗木さん」
帰り際、僕は栗木さんと日曜日を過ごせたことにとても満足していた。
ところが栗木さんは、急に僕のシャツをつかんだ。
「あのね、桜井くん」
「えっと、どうしたの」
僕の緊張は最高潮だった。
栗木さんはいを決したように顔を上げた。
「と、遠野くんのアドレスを教えてほしいの!」
え、という僕の声は栗木さんの声にかき消されていく。
私、ずっと遠野くんのこと好きなんだけどね、ほら、遠野くんってなんだか話かけにくって。だから桜井くん協力してくれるよね…
「桜井くん?」
「うん、これ、遠野のアドレス」
人のアドレスを勝手に教えてはいけないのだろうけど、その時の僕は一刻も早く帰りたかった。おじさんに会いたい。おじさんがいる部屋に、帰りたい。
「ありがとう!」
そういって栗木さんは差し出した僕の携帯から遠野のアドレスを登録し、「また明日ね!」と清々しい笑顔で帰っていった。
夕日が今日ばかりはやけにねっとりとして不愉快だった。
僕も、帰ろう。
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