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――ふ、と碧い風の向きが変わった。
「・・・あ」
碧い風に運ばれてきた、それは。
…空に描かれた旋律だった。
碧い風が吹くたびに、それらひとつひとつが、すんなりと、耳に届いてきた。
目を閉じ、聴き入る。
あぁ…なんて美しいフルートの音色。
その旋律に一気に引き込まれて、つられるように土手に沿って歩いていく。
まるで空に五線譜が描かれているような、音符がその上を自由に舞っているような錯覚。
実際にそんなもの見えるはずがないのに、
だけど音楽に引き込まれているならそれは別。五感すべてで感じられるんだから、音楽はすごい。
空の五線譜を追っていくと、その始まりに行きついた。
碧い風の中で旋律を空に描くその少年。
まるで彼自体が碧い風のようだと感じた。
風が、音の絵の具で空に絵を描いてる…なんて。普段の俺なら、こんなポエミーなこと思いつきもしないのに、今だけは違った。
空に紡がれていく旋律は、『バッハの無伴奏チェロ組曲 第1番』。
澄んだ音が、まだ凛と張り詰めた3月の空気を震わせる。
(寒いけど…もっと聴いていたいな)
寒さに身を縮めながらも、彼の方へ向かう。
この曲をフルートで流れるように吹けるなんて。元々チェロの曲だし、運指もかなり違うはず。
なりより、この曲はごく単純なメロディーの室内音楽。曲自体に感動する…といったものではないのに、すごく圧倒されたのだ。
音の厚みが尋常ではない。いわゆる、表現力として評価されるところにあたる。この厚みは、彼ぐらいの年齢の奏者がそうそう出せるものじゃない。
天才、という言葉が脳裏をよぎる。
のどが、ゴクリと鳴った。
フルートのソロを立ち聞きしているだけなのに、気分は大ホールの最高ランクの席で、素晴らしい演奏を聴いているようだった。
(そんな経験、実際はないのでニュアンスではあるのだが。)
フルートの少年は、音楽に集中していて、俺の存在には気付いていない。
音楽にのめり込んで、周りも見えなくなっている。音楽に魅了された音楽家。奏者なら尚更。
そう・・・自分が楽器になるのだ。
彼は完全に「楽器」になりきっていた。
俺と、同じ演奏スタイルだ。
彼自身にも、興味が出て来た。
ここまで音楽にのめり込み、ここまでの音を奏でられる彼は、一体どんな人間なのだろう。
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