痛っ

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日本人が言葉を発する。それは普通、日本語を話す。考えたことを話し、感じたことを話す。そしてそれを文字にする。通常、日本人は日本語で考える。ずっと長い間日本語で考えていると考えなくても日本語が口から出てくる場合がある。感じると考えなくても日本語が出てくる。特に形容詞だ。熱いお風呂に手を入れた時、「熱っ」と言う。氷水に手を入れた時、「冷たっ」と言う。でも、その数秒後は「熱い」とか「お風呂が熱い」とか「冷たい」とか「冷たい水」という言い方をする。手を出した後に「冷たっ」とは言わない。「冷たい」とか「熱い」は形容詞だ。でも、「熱っ」や「冷たっ」は単純に同じ形容詞とは言い難い。反射的な形容詞、反射形容詞だ。感嘆形容詞とも言える。日本語の標準語では「おもしろい」と言う。この言葉は反射形容詞や感嘆形容詞になりにくいが、「おもろい」だと「おもろっ」が反射形容詞になる。(お笑いが盛んな関西)。「痛っ」は反射形容詞だ。この日本語はほとんどの日本人が使ったことのある日本語だ。「いたっ」と読むが、「いてっ」も同じ意味の反射形容詞だ。だが、「いてい」は日本語じゃない。反射形容詞の時だけ語幹が変化している。とてつもなくきれいな女性を見たとき、「きれっ」とは言わない。「きれい」は反射形容詞にならない。だが、とてつもなくきれいな女性を見たとき、反射的に声が出るはずだ。それは人それぞれだが、「すごっ」は、有り得る。だがこれは反射形容詞ではない気がする。「すごいきれい」の略された形だから、感嘆詞だ。感嘆文の省略形だ。「すごい」は形容詞だけど「すごっ」は形容詞になっていない気がする。感嘆詞になっている。例えが悪かったがスポーツ選手のすごいプレーを見たとき「すごっ」という言葉が出る。それは反射的に出る感嘆詞だ。その数秒後は「すごいシュート」「すごいボール」という言い方をする。それらの言葉、文の省略形だ。
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