赴任

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 夕方まで研究室の片付けと、今後のスケジュールに沿った授業準備を考えていた。冬休みまでの1ヶ月で10コマ分の授業を考える必要があった。  今の2年の15人を相手に俺はデータ収集と分析方法の特別講義をする予定になっている。それなりにボリュームのある内容だが、豊橋先生が面倒な授業を俺にやらせてしまえとわざと振ったような気がする。  砂崎と大橋にはちゃんと教えたんだろうな、あの人。 「まあいいや、帰ろう」  明日豊橋先生と少し段取りについて話すことにして、日もすっかり暮れたし帰ることにした。  廊下を出ると、静まり返った空気に包まれていた。俺は人が集まって騒がしい場所よりも物静かな校舎や研究室が好きで研究を続けてきた。たまたま縁あってまだ学校というものに面倒見てもらえているが、社会に出て普通の会社に勤める自分を想像しようにも困難に思えた。  昨日とは打って変わって渦巻から自宅までは非常にスムーズだった。砂崎は大丈夫だったんだろうか。  小さな頭や肩をふいに思い出す。大学3年って言ったら20か21ぐらいか。そりゃ酒が飲めるようになって間もないし、あんな失敗もあるか。  マンションの入口に着いたところで今朝のドアに挿しっぱなしだった誰かの鍵を思い出す。流石にポストを覗くわけにはいかなかったが、自分の部屋の前を通りかかったところで、遠目に3006号室のドアに貼り付けたメモがなくなっているのは確認できた。 「よしよし」  俺は、少し物事が前進していることに安心して、自宅のドアに鍵を挿した。そして自分の部屋のドアに、白いメモが貼り付けられているのに気が付いた。  《先生、ありがとう》  それが砂崎のメモなのは、今朝テーブルに置いてあった字と一緒だったからすぐに思い当たった。 「やっぱりか」  俺はそんな風にして砂崎の部屋が3006号室だと知った。
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