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「なんて説明するんだよ、豊橋先生に」
俺はこのテーマで彼女が卒論を書くなんて自分の口からは伝えられる気がしなかった。観察対象は俺ですなんて言ったら、即日その場で解雇になる可能性がある。
「え、でもさっき豊橋先生にもメールで送りました」
頭の中でテレビのザッピング音が流れた気がする。頭が重くて支えられない。
「強烈だな…」
「安藤先生にも写しで宛先に入れてます」
彼女は、完全にスランプに陥った研究者が突然筆が進みだして歓喜しているのと同じ状態だった。
「そりゃ確かに、実際の論文指導者は豊橋先生だけどさ…」
俺の研究者生命が。
砂崎は「先生なんて言うかなあ」と嬉しさと心配が混ざる妙なテンションで言う。俺は平静を取り戻そうと、閉じたパソコン画面を開いた。
するとメールの受信音が鳴った。
「ほら、豊橋先生からメールきた…」
恐ろしさを感じながらポップアップから開いた。砂崎が送ったメールの件名にRe:が追加されているが、宛先からは砂崎が消されている。そして肝心の本文には一言だけこう書かれていた。
《詳しく話が聞きたい》
俺は既に退路が断たれていることを悟った。
「悪い、砂崎。俺先生と話すから、夜また連絡してもいい?」
メールを読んで項垂れた俺をしばらく見つめ、自分が何かしでかしていると思ったのか、砂崎は静かに身を引いた。
「今日は22時にはバイト終わってると思います」
「わかった。レポートありがとうな」
これ以上は俺が応対できないのを察して、鞄を手にすると、ほとんど音を立てずに研究室から砂崎が出て行った。
1人になった部屋で俺は頭を抱えた。
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