壁の穴

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 直樹は、ふと思う。  「俺は、いつから人の笑う顔を見てへんのやろ…… 」  狭い部屋。  壁には、ポッカリと穴が開いている。  いつか母親が、喫煙の事を咎めた時にこの壁を殴った。  拳に鋭い痛みが走り壁に穴が開く。  それを見ていた母親が、泣きながら狭い階段を駆け下りる。  それから母親はこの部屋に入って来なくなり、直樹が煙草を吸っても今は何も言わなくなった。  直樹が吐いた紫煙が、壁の穴に吸い込まれて行く。  薄暗い部屋。  テレビだけがついている。  テレビから聞こえる笑い声が部屋に響く。  画面の中で大勢の人間が、声を上げて笑っている。  何がそんなに面白いのか…… ?  チャンネルを変えようと床に落ちたリモコンに手を伸ばす。  脇腹に痛みが走り直樹は、顔を歪める。  昨日の帰り道、からんで来た他校の生徒が木刀で直樹の脇腹を殴りつけたのだ。  その生徒も最後は直樹の膝蹴りを顔面にくらい、苦痛に満ちた顔で地面を這いずっていた。  母親が泣く顔。  教師が困り果てる顔。  友人や後輩が、ビビる顔。  喧嘩を売ってきたヤツらが、苦痛に歪む顔。  十五歳の直樹の回りには笑顔の人間等、一人もいなかった。  紫煙が、壁の穴の闇に吸い込まれて行く。  テレビからは女性歌手の歌声が、聞こえていた。 ・
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