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バブル経済ってのが弾けたのが、90年代前半。俺が高校卒業間近の春だった。
『お父さん独立する!!』
50になって、いきり立ってはいたが、今考えればリストラだったと思われる。
異常なまでの好景気から一転、どん底に落ちて行くのが見えてて誰が独立を考える?
とにかく俺は、内定を貰ってた会社に入社。
あれよあれよと話は進み、関西圏の同期の中で俺だけが茨城工場に配属となった。
高卒のぺーぺーが、口先三寸で世の中を渡ったつもりでいたが、
騙されていたのは俺の方で、すぐさま現実を目の当たりにする事となる。
ここで力を貸してくれたのが、同期の藤田であり、ミッチーこと水戸部先輩である。
18のガキが、知らない街で暮らす事に全力でサポートしてくれたのは、この2人だけではないが、それほど印象に残る2人である。
そんな2人の優しさに包まれながらも、それに気付く事さえ出来ずに傷付いたまま関西に帰って来た。
勿論、そんな負け犬に用意される席もなく入社半年もたたずして退職した。
それを待っていたかの様に、オヤジは現場に俺を連れて行くようになり、気付けばオヤジに取り込まれていた。
勿論、まともに仕事なんてある訳もなく、何をとち狂ったのかオヤジは俺を養子縁組みに出してまで仕事にありつこうとまでしていた。
今思うと、あの時養子に行っていた方が楽な暮らしが出来たかも知れないし、
楽な暮らしをしていたら、カバン1つで沖縄を旅する事もなかったはずだ。だから人生は面白い。
結局、オヤジが出した答は俺の『レンタル移籍』だった。
こう言えば聞こえがいいが、人質を出して仕事を貰った事には変わりない。
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