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――なんだって? そんなこと、私が知るはずないだろう。
店主は言った。
「Who am I ??」その質問を抱えて歩く人はこの街にたくさんいるがね。
「この街って、どこですか。僕はさっぱり思い出せないのです」
「さあ。L市だとも言うしR市だとも言うし。いい加減なものだよ」
「へんだな」
「そう。へんな話さ」
「ふむ……」
僕が途方に暮れていると、店主は慰めるようにこう言った。
「悲観的になることはないよ。自分が誰か、この街がどこか……そんなことは実際なんでもない。問題は自分にいま何ができるかだ。それが自己の在り方を決定する。そうだろ?」
「はあ」
「見たところ、君は日傘を持っているし、バイエルも持っている」
「あと絵葉書も」
「結構。ということは、君は歩行に際して紫外線を遮断することができるし、pianoを習いたくなったらいつでも始めることができるってことだ。あと、手紙を書きたくなったらいつでも書ける」
「そうですね」
「それは名前以上に有効なアドバンテージだとは思わないかい? 実際、君は恵まれているよ」
「ええ……?」
よくわからない励ましだが、異論を挟む余地は無いように思われた。たしかに僕は日傘とバイエル教則本と絵葉書を持っているのだ。
「そうかもしれません。すこし元気が出てきましたよ。ありがとう。何かお礼ができればいいのですが――生憎、日傘とバイエルと絵葉書しか持っていないものですから」
「いや何。気にすることはないさ」
「本当にありがとう」
ひとまず僕らは笑顔で握手した。
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