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『いらっしゃいませ』
『やあ、また来てしまったよ。ここは本当に素晴らしい』
ここは図書喫茶。街で偶然見つけて以来通い続けてるお店だ。
『ありがとうございます。お客様に゙時間を感じさせない゙時間を提供するのが私の務めですので。しかし……』
彼は金の小箱を私に手渡した。
『時間を知らせる鐘の音が鳴りましたら、決してページを捲ってはなりません。その場で退出して頂くことになります』
「わかっているよ」
そう。それがここの唯一の規則だった。
しかしそれ以外は完璧だ。
奥にあるソファーに座ると、まるで雲に抱かれているような心地よさ。
テーブルには前回読み途中だった本が用意されており、ご丁寧に栞も挟んである。
さらに、珈琲と焼菓子を振る舞われるのだが、これが不思議なもので私が満足するまで空になりはしないのだ。
満たされた気分で本を読んでいると、小箱が開き、オルゴールが鳴り響いた。
普段はその強く美しい音色に気圧されてすぐに席を立つのだが、今日は何故か無性に続きを読んでいたくなったのだ。
私はページを捲った。
その後も私は本を読み続けた。特に咎められないので次々と別の本にも手を出していた。
『おや、貴方様は……鐘の音はとっくに鳴ったはずですよ』
その声で我に返り振り向くと、館長が険しい目をして立っていた。
口調こそ穏やかであるが、私は彼のこのような表情を見たことがなかった。
「やあ、すまない。つい夢中になってしまってね。超過分を払うから勘弁してくれないか」
私の提案に館長は悲しげに首を振った。
『御代は結構です。しかし規則を破った以上、貴方を再びこの店に入れることはできません。残念ですよ。貴方は大切な常連客でしたのに』
ここの料金は高い。山積みになっている本の数を考えるといくらかかるかわからない。もう充分すぎるほど本は読んだし、これで良かったのかもしれない。
「ありがとう。素晴らしい時間を過ごせたよ」
館長に別れを告げ階段を上り外に出ると、私は愕然とした。
辺り一面、何もないのだ。まるで三流の物語で描かれる世界の終わりのように。
ふと自分の掌を見ると、指先からさらさらと砂になって零れ落ちている。
『゙時間を感じさせない゙時間を提供するのが私の務めですので』
その言葉の意味を理解した時にはすでに、私の体はどこにも存在しなくなっていた。
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