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さて、文令さんの表紙の携帯電話はオシャレなスマートフォンですが、実際の私の携帯電話は古い型のものです。
それもボロボロ。
先日
『え?その携帯元はピンクだったの…?』
と言われました。
それぐらいのボロです。
しかし私は携帯を新しくする気がありません。
今の携帯が手にしっくりするのです。
まあタダで修理できるなら修理したいのですが……
私は携帯依存性気味なのです。
エッセイのタイトルにしてしまう程。
携帯をズボンのポッケにあると落ち着くし
携帯を握りしめていると安心します。
しかも誰かから連絡が頻繁に来るとかではないのが、切ないですね。
ただ連絡が来る時は大抵某友達からの講義関連の質問なので、すぐ返せるようにというのもあるのですが。
なぜ私がそこまで携帯電話に執着するのか。
それは携帯電話に私の全てが詰まっているからです。
例えばモバ(エブリスタ)で書いた小説やこのエッセイ。
それらには断片化された『私』が至る所に存在しています。
中にはもろ『私』を突っ込んだ作品もありますが。
それにモバではいろんな人と話したりする訳で、そこで私と誰かの繋がりも生じています。
そして何よりEメールの存在が大きいのです。
RADWIMPSの携帯電話という曲をご存知でしょうか?
その曲の一節にこんな歌詞があります。
『まるで僕の歴史を携帯して生きているような そんなこんな僕です』
この手の中に収められた手紙の束。
些細な日常の断片や
小さな『ありがとう』
それらが蓄積されていて。
ちゃんど今の私゙が成り立っていることを肯定してくれるのです。
携帯電話。
私が住むもう一つの世界。
そんなこんなでほぼ一日中(授業中も)携帯を弄っているので、それがいいことかはわからないんですけどね。
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