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「ほんと悪い。余った料理そのまま置いといていいから。また、連絡する」
将晴はそれだけ言うと、部屋を出て行った。
一人になると、急に部屋がしんとしているように感じられた。
将晴は、さっき何を言いかけていたのだろうか。
結婚、という言葉がどうしても消えないのは自意識過剰?
「ふぅ」
考えても仕方がないと思い、大きくひとつ深呼吸をして、食事に手を伸ばすが、どう考えても残りを私一人で食べきるのは不可能だ。
将晴はそのままにしておけと言ったが、あの様子じゃ次にこの部屋に帰ってくるのはいつになることやら。
その時、私の頭の中に先ほど私の後ろを通り過ぎた隣の部屋の女性が浮かんだ。
もう、寝ちゃったかな。
何故だか彼女のことが気になってしまった私は、非常識であるということを自覚しつつも、料理の一部を皿に盛り付けて隣の部屋のインターホンを押した。
「はい」
中からはすぐに声が聞こえた。
どうやら起きていたようだ。
「すみません」と切り出した私は、その後に続ける自己紹介の言葉に迷った挙句、「隣の部屋の者ですけど」という嘘をついた。
ガチャリとドアが開いて、その向こうから先ほどの彼女が現れた。
さっきも思ったけど、綺麗な人。
「あ、すみません、こんな時間に。あの、料理余ってて、よかったら、どうかなと思って」
彼女は私の手の上のお皿を注視した。
「いいんですか?」
「あ、はい。もちろんです」
彼女は、隣の部屋の住人だと言ったことを全く疑っていないようだった。
同居人だと思われているのか、はたまたそもそも将晴の存在など把握せずに私が隣室の主人だと思われたかもしれない。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて。あ、お皿は」
「あ、えっと、部屋の前にでも置いておいてもらえれば」
将晴に連絡を入れておけば問題ないだろう。
人のうちのものを勝手に貸しておいて言うことではないが、取られて困るような高価な食器ではないはずだ。
「わかりました。どうも、ありがとうございます」
私はお辞儀を返して、将晴の部屋へと帰った。
彼女とは、もう二度と会うこともないだろうと思った。
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