第八章

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「私が入院して間もなく、その病院の院長の息子さんが彼女に言い寄って振られたという噂が流れました。私のような者の耳にまで入ってくるのですから、本当に知らない人はいなかったんじゃないでしょうか。それで、私検査のときに聞いてみたんです。どうしてですかって。男の私から見ても素敵な男性でしたから」 「それで?」 高橋さんは、なんと答えたのだろうか。 「最初ははぐらかされたんですけど、もう一度聞いたら、静かに答えたんです。『苦手なんです。ああいう、器用で、人から愛されて育った香りのする人』って。私からすれば彼女もそっち側の人間に見えるんですけど、わからないものですね」 そっち側。 その言葉の意味は、なんとなくだがわかった。 人が誰しも、親や他人から愛情を注がれて生きていけるわけではない。 もしそれが当たり前だと思える環境にいるのならば、それほど幸せなことはない。 最上さんの二択では、俺は確実に『そっち側』の人間だろう。 母からも父からもこれ以上ないほど愛されて育った。 それが恵まれたことだと気付いたのも、随分と大きくなってからのことだ。 高橋さん、彼女は、どこにいるのだろうか。 「それを聞いたら、なんだか、一気に彼女が身近に感じられてしまって。迷惑な話ですよね」 「いえ」
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