第十章

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アパートの階段を上って部屋の前に到着した僕は、その場に立ち止まってじっと聞き耳を立てた。 こうして部屋の中の様子を確認するのが僕の日課だった。 父の不機嫌そうな声が聞こえる。 随分と酒を飲んでいるのがわかったが、どうやら他に人はいないようだ。 僕は「ただいま」と言いながら部屋のドアを開けた。 畳の上に広がる四畳半の空間が、僕の世界のすべてだった。 「遅えぞおい。大体昨日どこ行ってたんだよてめえ」 部屋に入った瞬間、怒号とともにビール瓶が飛んできた。 ドアに当たって割れた瓶の破片がこめかみをかする。 流れた血が視界の隅を覆った。 僕は素直に「ごめん」と謝る。 言葉だけ聞くと父が僕のことを心配していたように聞こえるかもしれないが、それは違う。 おそらく昨晩僕が何か食べ物を買って帰ってくることを期待していたのだろう。 不必要なときは邪険に扱うくせに、必要なときに足りないと怒られる。 理不尽だと言ってしまえばそれまでだが、これが僕の日常だ。 「おい、食いもんと酒」 「食べ物は買ってきたけど、お酒はないよ」 「はあ、アホかおめえ」 僕は父の言葉を聞き流しながら買ってきた食料を冷蔵庫の中へと入れる。
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